昭和46年03月21日 朝の御理解



 御理解 第2節
 「先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残る物は神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない。」

 教祖の神様の、神様へ向われるお態度というか、又は願いとされる所というものは、ただ人が助かる事さえ出来ればと言う事であった。ただ人が助かる事さえ出来れば結構であると、とにかく私は、教祖の神様の、神様へ向われる一番の、焦点でおありになったであろうし、また、願っておられる事もそこであった。人が助かる事さえできれば良い。そこで、私共としては、だからどうでも助からなければならん。
 教祖の神様の願い、一念というものがです。人が助かる事さえ出来ればというのですから、私共が、本気で助からなければならんのです。本気で、助かるようにお取次ぎを下さる。だから、私共が、私共自身が、助かるようにお取次ぎを願わなければならん。そこで問題は、その助かると言う事なんです。人が助かるとこう言う。なら、私共が助かるという事はどういう事かと。
  御理解第二節には、先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残ると言うほどしのもの。先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るというほどしの、あのそれは、神徳。信心すれば誰でも受ける事が出来る。しかもみてると言う事がない。私共が助かると言う事は、神徳を受けると言う事だと。例えば、助からん病人が助かり、開けない道が開ける。と言う、いわばおかげ。けれどもそれは、どこまでもおかげである。
 ですからそのおかげを受けたから、助かると言う事ではない。例えて言うとおかげは受けなくても、例えばおかげと言うが、私共の願いが成就しなくても、私は助かっておるというのは、いよいよ神様のお働きの中に、いわゆる我が身は神徳の中にあるという実感。我が身は神徳の中に生かされておるという実感。昨日同じ大学に受験されて一人の方は合格して、一人の方は不合格に終った。
 ところがおかげでもうどうにか、お金で入学が出来ますからね、出来ない時には、沢山の金を積みしてでもどうでも入学の、今度は何年目ですからね受けなきゃならんと、まぁはずんでおられたけれども。そのおかげを頂いておかげを頂いておる。本分の信心がありませんけれども、受験から帰ってからとてもおかげ頂いた、おかげ頂いたと言いよったが、やっぱ本物のおかげと思うくらいに、おかげを頂いたらしいですね。
 それでおかげを、それは、電話でおかげを頂いてから、合格しましたというお礼の御届があったと言う。まぁ暇が出来たら、また、お礼参拝すると言う事でしょうか。ところが、不合格の方の人は、昨日、お礼に出て見えた。同時にまたお詫びに出て見えた。そして、次にまた受けられる事の、受験の事に付いてを、願って帰られました。もう今までは、私共の信心が、ただ、お願いのし道も知らん。
 ただ、合楽に行けば、まぁご利益が頂けると言うことでただ通うて来て。いわゆるどう言うてお願いして良いやら知らんくらいの信心であったけれども。これからは一つ本気で信心させて頂きますからと。合楽の本も分けて頂きたい、お神様もお祭りしたいと言うと、その、言うて帰られた、昨日総会にも出て来ておられましたが、総会が終った後に、そういうお願いをして帰られました。
 ただ難関と言われる、ほんなら難関も突破することが出来たと、いう事だけで助かりには繋がってない。それはただその時嬉しかっただけであって、後の事はその事がおかげに、いわいる助かると言うことにはつながらない。それはどこまでもおかげである。けれどもその受験に不合格であったと言う方の人は、その事によってです同じ一緒に参って来た方なんですからね、二人とも。と言うのはです落ちた事によって、それも御神意を頂かれて、どの大学選んだら良かろうかという事だったけれども。
 その御神意を頂いたほうを取らずに、まあ自分の、思いの方を取られた訳です。でそういう事に対する神様に対するお詫び。親先生が仰って頂いた通りにしとけばよかったけれどもと言うのである。そしてこれからはです一つ本当の信心を分からせて頂いて、拝む道も覚えたい、お神様もお祭りしたいと言うておられます。まぁだからその人がほんなら、不合格であったけれども、そこから本当の信心を分りたいと願われる事によって、これから助かる道が開けて来る。
 自分の思いが成就した、と、言う事から助かると言うことに、それはつながる人もありましょうけれども。落てた方はお礼参拝してきておる遠い所から。合格した方は電話でおかげ頂きましたと言うだけである。だからそういう例えば姿勢では、私は神様が助かる事さえ出来ればとおっしゃる、その助かりにはつながらないと思う。助かると言う事はです、一つの問題を通して、そこから本当の信心を頂こう、本当の信心を分からせて頂こうとする姿勢からしか。
 「信心をすれば誰でも神徳が受けられる」と仰る神徳は受けられないと思う。先日から、金光青年の編集部から、私に何か書けと言うて原稿のお願いが、今言われてきております。向こうにその願いの条件がある。それはどういう事かと言うと、何を問題にしどのように取り組めばよいかと。これはそこんところを指図して、指摘して下さいとこう言う。お互いが何を問題にしておるか。
 そしたらその問題を、どのように取り組んだら良いかと。次には無信奉者信者でない人、それから青年信徒、信徒の家庭に起きる、信心のない人を対象とするもので、表現を中学校2年生程度に分るように書いて下さいという注文なんです。中々難しい事。私は信心のある人には、こうしてお話しておるけども、全然信心がないいや、求めてもないという者にお話をすると言う事は、こりゃあ私の話やら私の書いた物では通用するだろうかと、私は思わせて頂いて、実は断ろうかと思うて躊躇しておるんです。
 その事を昨日神様にお願いさせて頂きよりましたらね、「無駄な抵抗やめましょう」て(笑い)何か歌があるですね流行歌に。誰かが歌ってますよね、無駄な抵抗やめましょう。ははぁこれがほんなら私が、ここでお話しをする一つの、まぁテーマになるのだと。無駄な抵抗やめましょうと、どういう様な事だろうかと。 これは私共が十代、または二十歳代そして三十代。
 それぞれの時代を経て、まぁ今日おかげを頂いております訳です、お互いがそうです。そして私共がいうならもう三十になり四十になり、五十になって思わせて頂く事なんですけれども。ほんなら、十代に思うておった事を、二十になって考えたら、もう実に幼稚な事しか考えてない。三十代になって、二十代、もう一人前に自分はなったと思うておる。けれども三十代になって考えて見ると、まだまだ若い。
 考え方が若かったなと思う。四十代になれば尚更それを痛感致します。四十にして惑わすという様なまぁ言うならば、ここであんな所を通らせて頂いてこういう生き方というものが、愈々本当だと言う様な事が分かってくる。そこで私は「無駄な抵抗をやめましょう」というのは、こういう様な事をテーマにして話したらどうだろうかと言う風に思うた。まぁ言うならば青年信徒を、又はの無信奉者を対照にしてお話を進める。
 しかも理解だけは、中学校二年生程度でも理解が出来るように、まぁ、書けという訳なんです。だから私が今申します様な事ならば、私は分るのじゃないだろうかと。あんた達が今二十歳でみんなが、偉そうな事を言うてるけれども、もう一人前になったように思とるけど、三十になってみてご覧、また考え方はがらりと、本当な方へ方向が変って来るよと。方向が向きを変えてくるよと。
 してみると三十の人の意見を尊重しなければならないと言う事が分るじゃないか。三十代でと思うておるけれども、やはり四十代の人の意見を聞かせてもらうと、それだけ高尚な、本当な事が分る事になるのだから。いぃや俺は俺の生き方で行く、若い者は若い者の生き方で行くと言うような、私は生き方こそがです、無駄な抵抗をしておるのではなかろうかという風に、思うのです。
  私が、北京に渡りましたのが25歳だった。まぁ一人前の商売人になったつもりでおる。はぁ四十にも五十にもなる、同じ商売相手又は同業の方達と、まぁ対等に付き合えると、まぁ本当に横着な、偉そうな奴じゃあると思われただろうと、後になって思う。けどもやはり自分はもう一人前になってるといった様な、思いかたでありますから。成る程色々な生き方な上におかげを頂きましたけれども、結局終戦と言ういわいる敗戦という事になり言わば折角、少しばかり儲けだしとった。
 その財産もみんな外地において来なければならないという結果になって、内地に引き揚げて帰ってきた。引き上げて帰ってきてです、今までの生き方がいかに粗漏であり、間違いであり実意のない生き方であったかと言うことが分って来た。そこでです私は間違えなかったなと思った事はですね、私の信心の生き方言わば生活態度と言う物を、言うならば、もう言うなら回れ右するほどしに変わったという事である。
 何時も申しますように、食べる資格のない自分を知った、着る資格のない私を見極めた。そこで食べまい着るまいと言うような生き方にならせて貰うた。まぁ食べまいと言うて、食べん訳ないかんから、一椀のお粥さんを頂く。着るものは一枚の夏服一着を何年間着せて頂いた。洋服のこの袖なんかはずっとここが破れますからね、こうこやってまつってやる、それでこうやって曲げていくから、段々終いには短う切ってしまう。
 今は家内がそれはちゃんととって有ります。是はもうまぁ言うならば、お父さんが修行中に着られた物だからというのでしょう。そういう様な例えば生き方を、今まで自分の生き方が間違っておった事を分からせて頂いて、そしてその次に取らせて頂いた、私は生き方が間違ってなかったなと思うのです。ですから是からの信心という物がです。今までの生き方ではいけなかったのであるから、本気で教えを頂こうという姿勢。
 それからまぁ九州のせんかく先輩であるところの、桂先生とか福岡の吉木先生とか、また久留米の石橋先生とか、または三井教会の初代の荒巻先生あたりの信心を、一生懸命に頂こうと努めた事。同時に先生方がなさったという、お伝記に残っておる、又は目の当たりに知っております限りのですね、先生方がなさったっと言う修行に取り組んだ。桂松平先生だって人間だ、桂松平先生がなさった修行が、人間である私が出来んはずがない、という生き方なんだ。
 ここん所がですしかも、それぞれに体得を受けられた先生方ばっかりである。ですから、そういう生き方が、一番間違いがないと分った訳です。言わば三十代に入ってです。四十代、五十代、そして本当に間違のない信心生活、信心での生き方をなさった方達の、言わば、内容を、十全にさせて頂いたと言うことです。五年足らずで人が助かるようになって来た。自分自身の心の中にも、はぁこれが助かりと言う物かと言う、安心のおかげを頂けるようになってきた。
 本当によし内地に引き揚げて帰ってきた、もう一遍外地におった時の様な弾みで、いっちょ本気で商売でもするぞと言うて、やっておったらどういう事になっておったであろうか。所謂無理な稽古をやめて、言わば先輩が残された信心、先輩が残された信心の姿勢というものを、真似させて頂く事になって来た。言うならば三十代に、いわば四十代五十代の人の生き方を本気で私はそれを、神習わせて頂いたと言う事になる。
  私はあのね自分の生き方と言うものをです。ここでも申して有りますように、どのように何を問題にして行くかと。またそれにどう取り組むかと。私共がより良いいわゆる生き方、より助かれる道はないものかと探し求める生き方。まず私はそこにね焦点を置かなきゃいかんと思う。私共がこれから先、本当により良い生き方があるならば、より良い生き方にならせて頂こう。
 より確実に助かる道があるとするならば、その助かる道を教えて頂こうという、姿勢になって来る時にです。そこの所を例えば問題にしてです、その所に取り組んでまいりましてです、信心をさせて頂こうと言うことにならせて頂く。そこん所の姿勢からです、信心をすれば誰でも神徳が受けられると。しかもみてる事もないあの世にも持って行かれ、この世にも残るという程しの事をです。
 私共が本気で取り組ませて頂かなければいけない。私共が無駄な抵抗を、いろんな意味でしてる様な事が沢山あろうと思う、信心をしておっても。それを我情というのであり、我欲というのであります。そこでそういう我情とか我欲とかという物に取り組んでの生き方。そしてその我情が我欲が、段々通うしとめて行くそこにはっきりして来るのが、我が身は神徳の中に生かされておという。
 そこにはね病気が治るとか治らなかったとか、試験が通ったとか通らなかったと言う事は、全然問題でなくなって来る。我が身は神徳の中に生かされてある。その神徳の中に生かされてある事が分からせて頂くという事、その事が私は御神徳を受ける事だと思う。そこで、ほんなら我が身は神徳の中に生かされてあると言う事を分らせて頂くために、自分の我情我欲に取り組むという事。
 他の何事よりも、何を稽古することよりもです、そこん所の稽古を本気でさせて頂くという姿勢にならせて頂こうという事がです。言わば無駄な抵抗をやめようと言うことになるのじゃないでしょうか。いいえやっぱり若い内一遍苦労してみて、自分の思う通りの事をやってみたい、と言ったような冒険とでも申しましょうかね。そういうものが若い時に誰しもあるものです。
 それもよかろうけれどもです、ここで思わなきゃならん事は後で考えてみてそれが、それよりももっとより良い生き方というものがあるとするならば、私はその道を取った方が有り難いと思うまぁ賢いと言う意味じゃない。何故ってそこにもね矢張りその冒険にも似たような苦労というかね、所謂修行というのはあるのであるから。我情我欲を外して行こうと言う様な生き方にならせて頂く、そこには無駄な言わば苦労ではなくてもう生き生きとして、自分の心に感じ取らせて頂けれる為の修行がある訳なんです。
 折角修行するなら折角苦労するなら、そういう間違いのない生き方に着眼してですね、信心を進めて行くおかげを頂いたら良いだろう。是は私の体験ですけれどもいわば三十歳頃までは、成る程信心もしておるお願いもしておる。それはどこまでもおかげを頂かなければと言う信心である。そしておかげを受ければ有り難いのであり、おかげを受けなかったら是程信心するのにと言った様な所を、うろうろして何十年間。
 初めて私共が裸で引き揚げて帰って来なければならないと言いよる時に至った時にです。何十年間の無駄ないわば抵抗をしながら、我情我欲のとりこになっておった自分を見極めさせて頂いて。いわば先輩の話を聞こう。間違いのないはっきり所謂神徳の受けられた方達の生き方に本気でならせて頂こう。それが信心だと分らせて頂くようになった。そこから抵抗のない所謂信心。所謂もう日々がですそれこそ身になり、血になって行く様な思いで、信心が有り難いものになって来た。
 いうなら信心しておって、どうしてあんな難儀が続くだろうかと思う様な事が、次々と起きて参りましたけれども。その中にです心に安らぎがあり喜びがあり。私は教祖の神様が、「人が助かる事さえ出来れば」とおっしゃる、その助かる事の出来れる道を初めて三十になって気付かせて頂いたのである。そして本当の間違いのない道、間違いのない助かり方を求めて今日まで来らせて頂いて、これは私がもう絶対こう言う生き方こう言う生きる、生き方ですよ。
 こう言う助かり方と言うものをですそれこそ確信と喜びを持って、皆さんにも聞いて頂けれるほどしの物を頂いておる。言うなら皆さんの私は先輩である。ですから先輩の私がです事実こうしておかげを頂いて、おかげを目指すわけじゃないけれどもです、そのおかげはです、言わば向うから付いて来る程しのおかげがです、頂けれる日々の信心生活の中にです。もう愈々ここの所が深められる高められて行く以外にはない。
 またそこに一生かけての精進させて頂く以外にはないと言う物を、私が頂いておるのでございます。成る程これならばこの世に残しておれるぞと、またこれならば確かにあの世にも持って行けるだろうと、自分でも思われるほどしのものをです、この頃感じるです。お互いがね様々な問題に悩み、言わば難儀にあえいでおる人が沢山ありますけれども、そりゃその難儀から解放されると言う事だけが、信心であると言う様な頂きかたではなくて、教祖の神様は人が助かる事さえできればと。
 と言うて下さるのですから、私共信心させて頂く者もです。私が先ず助かると言う事が、教祖の願いに答える事になる。ほんなら私が助かると言う事はどういう事か。それは言うならば、火の中であろうか水の中であろうがです。言うならば降ろうが照ろうがです、我が身は神徳の中に生かされてあるんだと言う、喜びを心に感じれれる事こそが、私は教祖の願われる助かりと言うことになるのではなかろうか。
 試験が出来た出来なかったのと言う様事はです、それはどこまでもおかげである。それは助かると言う事にはつながってはいない。私どもが愈々より本当の助かり方があるならばと言う所にです。問題又は焦点を置いての生き方を身に付けて行かなければならない。そこには、真の信心あるのみである。そこでその真の信心を身に付けて、本当に御神徳家であったなぁ、あの先生はと思われる、御神徳を受けられた先生方のいわば歩かれた、神乍らな道を私共が体得する事に私の心に定められた時です。
 そこからかってない信心の喜び、又は夢にも思わなかったようなおかげが展開して来た訳であります。だから探し求めるなら、そういうおかげの頂けれる糸口をね、掴まないけんと言う事なんです。そこん所を置いて例えば信心しておっても、それは無駄な抵抗をしておるのではなかろうかと私は思う。その例えばより良い生き方とか、助かり方というものをです。ここでは道はみ教えに頂いておる訳であります。その事をです本気で一つ一つ、行の上に現して行く生き方を身に付けて行く信心になりたいと思う。
 私は思うのではない教祖の神様が、その様な願いを以って、おいでておられたと人が助かる事さえ出来ればと。そこで私共もほんなら本当の助かり方という物はどう言うものか。それを私は我が身は神徳の中に生かされてある、それは降ろうが照ろうが、そこに神様の懐の中にあると言う実感を頂けれる信心という風に申しました。そういう生き方にならせて頂く時です。はぁこれがあの世にも持って行ける物であろうか。この世にも残しておける物であろうかと、実感させて頂ける程しのものが頂けてくる。
 だから目指すならそこを目指す。例えば今日はここん所を、信心をすれば誰でも受けられるのが神徳だとおっしゃった。ですから何十年お参りしよりますからと言う信心ではなくて、無駄な抵抗をやめて本当の生き方に、邁進させて頂くと言う生き方、そういう信心にならなければならないと言う事であります。ここでは私がね私共はいわば、小倉の桂先生とか、石橋先生とかと、亡くなられた方の後を聞かせて頂いておったり、本で読ませて頂いたり、その限りの所を尽くさせて頂いたんですけれども。
 皆さんの場合は、ここに私という生きた一つの手本がある。ですからそりゃ私がもう少し年をとったら、もっとより本当の事が分かって来る事に違い有りません。けど今私が言うておる事は、皆さんの思うておる事よりも、より本当の事なのですから。その間のところをです、私はその無駄な抵抗をやめて、言うならば素直にです、私の言うことを聞いたらです、またそこに精進したら、一番間違いのない生き方ではなかろうかという風に思うのです。
   どうぞ。